皆さんこんにちは、K田です。
皆さんは”孫子の兵法”についてご存知ですか?
『孫氏』とは、今から2500年程前、中国春秋時代末期の軍事思想家です。
本名は『孫武』といい、孫子の”子”は先生という意味があります。つまり、”孫先生”ということですね。
ちなみのこの孫武。三国志を知っている方なら一度を聞いたことがあろう、呉の孫堅のご先祖様です。
つまり”孫氏の兵法”とは、孫武作の戦いの原理・原則・戦術・戦略をまとめた本です。
この孫子の兵法は古くから数多くの武将・指導者・成功者に読まれてきました。
有名なのは諸葛亮孔明や武田信玄でしょう。
近年では、ソフトバンクの孫正義氏が病気で入院中に孫子の兵法を読み、その後の仕事に大きく参考にしたと言われています。
そんな”孫子の兵法”ですが、私達が人間社会を生きていくうえでも大きく約立つものです。
そこで今回は、私が特に伝えたいと感じた孫子の兵法を6つ紹介していこうと思います。
この記事はこんな人におすすめです。
- 人生における戦略を知りたい人
- 孫子の兵法について興味のある人
”ツキ”が巡ってくるのを焦らず待つ
まず最初にお話するのはこちらの一文です。
その疾きこと風の如く、その除かなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如し
これを今風に訳すと
疾風のように行動するかと思えば、林のように静まり返る。燃え盛る火のように襲撃すると思えば、山のごとく微動だにしない。
となります。
武田信玄が、このくだりから『風林火山』の四文字をとって旗印としたことはあまりにも有名です。
この風林火山のくだりで孫氏が言わんとしていることは、作戦行動(私達で言う日々の生活や仕事の中での)『動』と『静』の対比にほかなりません。
守りについたときは、どっしりと腰をおとして守り抜く。
一旦攻めに転じたときには積極果敢に行動する。
逆に、動いてはならない時に軽挙妄動し、動くべき時にためらって行動を起こさないことは、最も避けるべきです。
私達の人生には、良いときもあればツキに見放されてどん底のときもあります。
良いときは積極的に行動すれば良いですが、落ち目のときは我慢の子を決め込んで、じっと辛抱する必要があります。
最もいけないのは悪あがきをして傷口をされに広げてしまうことです。
この一文から学べることは、
今は逆境にあるが、いずれまたツキがめってくる。だから軽挙妄動しないようにしよう
という心構えです。
臨機応変を知らなければ理論を活かせない
次に紹介するのがこちらの一文です。
将、九変の利に通ぜざれば、地形を知るといえども、地の利を得ること能わず
これを今風に訳すと
将たる者が臨機応変の運用に精通していなければ、例え地形を掌握していたとしても地の利を活かすことができない。
となります。
これは、『理論』と『経験』の問題です。
皆さんの今まで「あの人は理論的には正しいことを言ってるんだけど、現場の状況や気持ちをわかってないんだよね〜」といった場面に出くわしたことはないでしょうか?
具体的な例を出して説明しましょう。
三国志の中で馬謖という若手武将が出てきます。彼はいわば若手の東大卒の頭がめちゃくちゃ良いエリートみたいな武将でした。
戦いの中で軍を布陣する際に、王平といういわば叩き上げのベテラン社員みたいな武将が、「今の布陣では的に包囲殲滅されてしまいます!」と進言しました。
しかし馬謖は「兵法書にもこの布陣が最適と書いてある!案ずることは無い」と一蹴してしまいます。
結果はどうなったかというと、王平という通り包囲殲滅されてしまい、大敗を喫してしまいました。
その責任を取って馬謖は処刑されてしまいます。
これが故事の『泣いて馬謖を斬る』の由来となっています。
馬謖の失敗の要因は、『理論』にとらわれて先輩の『経験』に耳をかさなったことにあります。
馬謖は理論的に間違ったことはしていませんでしたが、それを臨機応変に使いこなせなかったのです。
これと同様の失敗は現代においても起きうることです。
私も、患者さんに運動を提供する際に、理論的には一番合理的な方法を提供しても、中々受け入れられなかった経験があります。
これは、患者さんの特徴を把握するといった”経験”が不足していたことが原因でした。
この一文から学べることは
本を読んだり学会に参加して、理論を学ぶことは非常に大切だが、同時に経験を積むことを怠ってはならない
という心構えです。
「ピンチを脱した!」と思ったときが1番危ない
次に紹介するのはこちらの一文です。
慮りなくして敵を易る者は、必ず人に擒にせらる。
これを今風に訳すと
深謀遠慮を書いて敵を軽視するならば、敵にしてやられるのがオチだ。
となります。
もっと簡単に言い換えると、『油断大敵』ということです。
古今東西の戦の歴史を紐解くと、少しの油断から大きな敗北につながった事例はたくさんあります。
これまた三国志の話ですが、かの有名な『赤壁の戦い』についても油断が勝負の分かれ目となったと言われています。
赤壁の戦いでは、曹操軍20数万が劉備+呉軍のわずか3万の軍勢に敗れるという大波乱の展開となりました。
周瑜と黄蓋の計略や諸葛亮の祈祷など様々なエピソードが有名ですが、曹操軍敗北の一つの大きい原因となったのが”油断”であると言われています。
曹操のような稀代の天才でも油断をすると失敗してしまうのです。
これは私達の日々の生活や仕事においても例外ではありません。
業績が悪いとき、患者さんの様態が芳しくないときは、自ずと気が張り、精一杯のパフォーマンスをしようとこころがけます。
ところがこれが少し落ち着いてくると一気に気が抜けて、つまらないミスをしたり、普段は見逃さないような変化を見逃してしまうことがあります。
このように、少し気の緩みが生じてきたときこそが、最も危ない時であると言えます。
この一分から学べることは、
どんなときも緊張感をもって物事に取り組まなければならない
という心構えです。
謙虚な人に支持も信頼も集まる
次に紹介するのはこちらの一文です。
進んで名を求めず、退いて罪を避けず
これを今風に訳すと
成功しても名誉を求めず、失敗しても責任を回避しない。
となります。
このことは、孫武がリーダーの条件として挙げています。
これを箇条書きに表すと
- 能力や功績を鼻にかけないこと
- 責任感が旺盛なこと
の2点になります。
能力や功績を鼻にかけないということは、すなわち謙虚であると言えますね。
老子(中国の思想家)も次のように述べています。
つま先を立てて背伸びをして立とうとすれば、かえって足元がおぼつかなくなる。
自分を是とすればかえって無視される。
自分を誇示しればかえって排斥される。
自分の功績をひけらかせば、かえって非難を受けることとなる。
自分の才能を鼻にかければ、かえって足をひっぱられることとなる。
確かに自分のことを誇示するばかりで尊大な態度を取る人と一緒には、あまり働きたくないですね。
私も今まで働いてきた中で、自分のことを鼻にかけている人に出会うこともありましたが、やはり良い気はせず、周りからの評価も決して良い人ではありませんでした。
ちなみにその人は数々のトラブルを起こし、2〜3年で辞めていきました。
どんな国、どんな時代においても、謙虚であることの重要性は変わりないようです。
この一文から学べることは、
常に謙虚な気持ちでいることを心がける
ことの重要性です。
私も尊大な態度を取ってしまうことが全くないではないので、常に気をつけたいですね。
ただ一時の感情がすべてを狂わす
次に紹介するのはこちらの一文です。
主は怒りを以って師を興すべからず、将は憤りを以って戦いを致すべからず
これを今風に訳すと
王たるもの、将たるものは、怒りにまかせて軍事行動を起こしてはならない。
となります。
またまた三国志の話を例に出して説明します。
ある日、蜀の武将の関羽が呉の策略に嵌り、討ち取られてしまいました。
この関羽、劉備の義兄弟であるわけで、当然劉備は大激怒をし、呉に敵討ちをしかけようとします。
しかし、諸葛亮を初め部下は、「今はその時ではない。」と諌めます。
一方の劉備は「義兄弟を殺されてんなこと言ってられるか!!」と聴く耳を持たず、戦を初めてしまいます。
しかし、ここから色々なことが上手くいかなくなります。
呉との戦の前にもうひとりの義兄弟である張飛も暗殺され、戦も途中で陸遜という武将に敗北を喫し、ついに劉備は心労が祟り、この世を去ってしまいました。
もしかしたら、劉備が呉との戦を留まっていれば、歴史は変わったかもしれません。
まさに、『一時の感情がすべてを狂わした』といえます。
日頃の仕事や生活でも、正直頭に来たり腹が立ったりすることも少なくないはずです。
しかし、そこでカッとなって劉備のように冷静さを欠いてしまうと、良い結果は得られないでしょう。
感情の中で、人の判断を狂わせる大きな要素は怒りですが、それ以外にも憎悪や愛情などの理由でも人は判断を誤ります。
感情のコントールは、現代社会を生き延びていく上で必要不可欠な能力といえるでしょう。
この一文から学べることは
大事なときこそ感情を切り離し、冷静に判断する
ことです。
好機が来るのをじっと待つ
最後に紹介するのはこちらの一文です。
利に合して動き、利に合せずして止む
これを今風に訳すと
状況が有利であれば行動を起こし、不利と見たら中止すべきである。
となります。
その昔、項羽と劉邦という武将がいました。
この武将たちは反秦連合軍として戦っていたのですが、劉邦はとある戦いで漢中という防衛の要所に一番乗りを果たします。
これが気に入らなかったのが当時筆頭の実力者であった項羽です。
両者の力の差は大きく、ここで目をつけられてしまったら勝ち目はないと判断した劉邦は、自ら頭を下げて、その後の不公平な扱いにも耐え忍んだのです。
その後、項羽の体制に不満がある諸侯が各地で反乱を起こし、それに乗じて劉邦は「いまだ!」と項羽に戦いを挑みます。
その結果、ついに劉邦は天下統一を果たしたのです。(劉邦が三国志の劉備のご先祖様と言われています)
ここで劉邦が項羽に勝つことが出来たのは、項羽に勢いがあるうちは不利と見て戦いをせず、状況が有利になったところで行動を起こしたタイミングにあります。
仮に最初の時点で劉邦が項羽に戦いを挑んでいたら、もしかしたら劉邦は負けていたかもしれません。
この『好機が来るまでじっと待つ』というのは、先述の『風林火山』と重なるところがありますね。
仕事や日々の生活でも、職場内での風当たりが強かったり、業績が悪かったりと、「今は不利だな」と感じることがあると思います。
そのようなときは、一時は苦しいと思いますが、じっと耐えることも時には必要です。
”臥薪嘗胆”の故事にもあるように、「苦しいときには我慢して機会が巡ってくるのを待つ」というエピソードがは昔から多く残されています。
自分だけ苦しい思いをしていると悲観する必要はありません。今まで数多くの先人が同じ思いをしながらも成功に至ってきたのですから。
この一文から学べることは
状況が悪ければ我慢も必要。良いときと悪いときのタイミングを図る。
ことだと思います。
まとめ
今回は、孫子の兵法の中でも
- ”ツキ”が巡ってくるのを焦らず待つ
- 臨機応変を知らなければ理論を活かせない
- 「ピンチを脱した!」と思ったときが1番危ない
- 謙虚な人に支持も信頼も集まる
- ただ一時の感情がすべてを狂わす
- 好機が来るのをじっと待つ
の6つを紹介させていただきました。
孫子の兵法には、13篇から構成されており、本日紹介した以外にも多くの戦略・戦術が記されています。
そのどれもが作成から2500年経った今でも応用可能です。
孫子の兵法ほど多くの人に読まれ、成功に導いてきた書は決して多くはありません。
そんな知識を簡単に手に入れられる私達は、非常に恵まれていると言えるでしょう。
是非皆さんも一度『孫氏の兵法』を読んで、皆さんの人生を戦い抜く参考にしてみてください。
最後今回の記事を書くに当たり参考にした書籍を紹介させていただきます。
原文・翻訳・戦いにおける事例を交えてわかりやすく解説されています。
単行本・電子書籍のどちらでも発行されているため、興味のある方は是非一度読んでみることをおすすめします。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!
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