みなさんこんにちは、K田です。
突然ですが皆さん、今までの失敗がずっと頭に残ってしまったり、将来のことが不安でしょうがなくてたまらないという気持ちになったことはありませんか?
私も人間関係や仕事のことで悩んだことがあるのは、1度や2度ではありません。
しかし、私はそんな時にいつも心のなかで唱える、いわばお守りみたいな言葉を知っているのです。
それがタイトルにもある
『即今・当処・自己』
という言葉です。
この言葉は、老若男女・新人・ベテラン問わず、日々の生活の中で過去や未来のことで悩んでいる人には、是非知っておいていただきたい言葉です。
今回は、この言葉についてお話していきたいと思います。
この記事は、こんなに人にオススメです。
- 日々の生活に悩みがある人
- 将来に不安がある人
- 過去のことをひきずってしまっている人
即今・当処・自己とは?
みなさん、『即今・当処・自己』なんという言葉は聞いたことはありますか?
これは、禅の教えの中1つです。
私は社会人となって9年目に初めて知りました。
私がこの言葉に出会ったきっかけは、祖母ががんを患ったことです。
祖母が胃がんと判明した当時、病状はstage4まで進行しており、手術もできない状態でした。
化学療法も効果が乏しく、余命は数ヶ月と宣告され、昔からおばあちゃんっ子だった私は非常にショックを受けました。
その時、少しでも気持ちが楽になればと思い、禅に関する本を読み始め、そこで初めて『即今・当処・自己』という言葉を知ったのです。
どんな意味なのか?
『即今・当処・自己』
この言葉が意味しているのは
いまその瞬間に、その場所で、自分がやるべきことをやっていくことが大切である
ということです。
これをもう少し噛み砕いて説明すると
即今:今ここで
当処:この場所で
自己:自分が
と言いあらわすことができます。
不安というのは、「これから仕事がうまくいくだろうか」「人間関係がは大丈夫だろうか」「親の介護が必要になったらどうしよう」などと、これから起こる未来のことに対して生じるものです。
また、後悔というのは「あの時ああしていればよかった」「失敗して評価を大きく下げてしまった」などと、過去のことに対して感じるものです。
このいずれも、”未来”や”過去”に意識が向き、”今”のことは考えられていません。
しかし、日々の生活で大切なのは”今ここで何をするか”です。
”今の仕事に全力で取り組む”、”この打席に集中する”、”今家族と過ごす時間を大切にする”ことが1番重要なのであり、”今”に全力で取り組んでいれば、結果は後から着いてくる
という考えが、『即今・自己・当処』という言葉の本質です。
失敗は悪いことでは無い
でも、「失敗することが怖い・・・」と考える人も中にはいると思います。
禅語ではありませんが、アイルランド出身の詩人、オスカー・ワイルドの言葉にこんなものがあります。
経験とは、みんなが失敗につける名前のことだ
オスカー・ワイルド
この言葉の意味するところは、失敗はかけがえのない経験の1つであり、自分を成長させる糧であるということです。
人生に関わるような大きな失敗は避ける必要がありますが、日々の生活で生じる失敗に対し、そこまで怯える必要はありません。
人生で遭遇する失敗のうち、人生に関わるような大きなものは5%であると言われています。
逆に考えれば、残りの95%の失敗は、仮に生じたとしても人生を狂わすようなものではないのです。
もちろん、失敗は少ないに越したことがないと思いますが、私はなるべく早いうちに失敗をしたほうが良いと考えています。
何故かと言うと、早く失敗したほうが、その分早く修正できるからです。
例えば、みなさんが名古屋から東京に行くために、新幹線に乗ったとしましょう。
しかし、間違えて下りに乗ってしまいました。
ここで、早めに気づいて京都で降りて上りに乗り直せば、1〜2時間の遅れで済みます。
しかし、間違いに気づかずに博多まで行ってしまったらどうでしょうか?
博多から東京へ行くのは、かなり大変ですよね。
ちなみに博多から東京まで、新幹線では5時間、飛行機でも3時間半はかかるとのことです。
また、乗り間違えたら、次は間違えないようにしようと、必ず乗り場を確認するようになると思います。
これは仕事や日常でも同じで、失敗したとしても次から同じようなことを繰り返さないように注意すればよいのです。
失敗したことで、部下や後輩に指導するときに「自分はこんな失敗をしたからここは注意するように」と伝えることができ、結果的に仕事に役に立ったと言えるようになるかもしれません。
ここまで失敗は悪いことでない、大事な経験である!と話してきましたが、これに当てはまるためにはたった1つの条件があります。
それは
一生懸命やって失敗すること。全力で取り組んで失敗すること。
です。
テキトーにやった内容では、自分の糧にはなりません。
この条件をクリアする方法こそ
『即今・当処・自己』の精神で何事にも取り組むことなのです。
どんな時に唱えればよいか?
では、この『即今・当処・自己』という言葉は、どんな時に唱えるとよいのでしょうか?
私自身を例にしてみたいと思います。
私は、仕事をしている時によくこの言葉を考えます。
2024年の4月に今の職場へ転職しましたが、それからまだ日が浅いため、周囲からの評価がまだまだ低い状態であることは認識しています。
早く周囲の評価を上げたい!認めてもらいたい!という思いは、溢れ出るほど持っています。
しかし、評価にこだわると、なんとかしていい評価を得ようとして仕事をすることになります。
その思いが嵩じれば、なりふり構わず評価を求める、評価を得るためには手段を選ばない、といった仕事の仕方にもなりかねません。
皆さんの周囲で、評価を気にするあまり、上司に媚を売ることだけ考えたり、部下の手柄を奪ったり、自分のことばかり考えているような人はいませんか?
そのような人が、今後出世したり、仕事に恵まれることがあるでしょうか?
もちろん、周囲の評価も大事なことですが、それにだけ意識が向くのは、仕事をする上での本質を見失う結果となります。
私の話に戻りますが、私が即今・当処・自己を唱えるのは
”良い評価をもらいたい!でも今の仕事内容で大丈夫かな?”
と仕事に欲を感じ、焦りを感じたときです。
人間、焦ると地に足がつかなくなり、何事も空回りしやすくなります。
そのため、欲や焦りが生まれたときこそ一旦落ち着いて、地に足をつけて仕事に取り組もう、と考えるようにしています。
まとめ
今回は、『即今・当処・自己』についてお話を進めてきました。
今回の話をまとめると
- 『即今・当処・自己』とは”いまその瞬間に、その場所で、自分がやるべきことをやっていくことが大切である”という考え
- 失敗は自身の糧となる
- そのためには、一生懸命、全力でやって失敗すること
- 仕事で欲や焦りが出た時に考える
という内容でした。
禅の教えは、日々の生活の中で、私達に非常に有益な考え方を届けてくれます。
オススメの書籍
最後に、今回私が禅の教えを知った書籍を紹介させてください。
この書籍は曹洞宗得徳雄山建功寺の住職である枡野俊明氏の執筆されたものになります。
枡野氏はこの他にも多数”禅”に関する書籍を執筆されていますので、ご興味のある方は、是非1度手にとって見ることをオススメします。
この記事が、みなさんの日常の悩みの解決の一助になれば幸いです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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